20060228 お葬式

土曜日のお昼、祖父が亡くなった。
私は、友人と池袋にいて、ランチを食べる直前だった。
家に帰って、とりあえずの準備をして羽田から熊本へ。
不思議だったのはその日の夕方。
1時間くらい、両肩がどうしようもないくらい重くて重くて
私は熱いお風呂に急遽入ったほど。
それからしばらくしたら、すっと肩は軽くなったけれどあれはお祖父ちゃん
だったのかな。。。

お通夜、お葬式とばたばたと終わって、今日こうして
家に帰ってみると、熊本でのことが嘘みたいに遠く感じる。

お葬式の日、熊本は小春日和。
暖かい日差しで、庭の梅の花が二本ともきれいに咲いてた。
ピンクのと、白のと。
祖父の庭は、昔の日本庭園みたいでいい雰囲気。
霊柩車を従業員さんみんなで並んで見送ってくれた。
日本にまだこんな光景のこってたんだなあと思うくらい非日常的な
光景で、涙すら出なかった。

通夜の日、私と妹は祖父の家に泊まって
火の番をした。
祖父の昔のアルバムをみて、自分たちの小さいころ
笑いあったり、祖父の小さいころの写真をみて驚いたり。

不思議な夜で、父をはじめとする祖父の子供たち4人だけが
残って、お嫁さんや旦那さんは全員家に帰って。
それぞれ結婚してから兄弟四人だけでいることは、
この夜が初めてだったと思う。
叔父や叔母や自分の父が幼少のことを話して、ゲラゲラ笑ってて

「そうそう!あの釣りに連れて行かれてお父さんが池に落ちたのよ!」

「覚えてるー。あのとき私本当に怖かった!」

「え?お前も来てたっけ?」

「なぜかいたのよ、お父さんが酔っ払って橋から落ちた途端
ドボーンってすごい音がして」

「ぎゃはははは。みんなで手をつなぎあって助けたのよね!」

私は隣の部屋で、転寝しながらぼんやり聞いていた。
終始和やかで、かつてあの4人が本当に兄弟で一緒に
暮らしていたんだなあ、変な感じーと思いながら。

祖父の残したものはいろいろとあって、それが莫大すぎて整理
できてないけれど、ガラクタみたいな雑貨などはみんなを笑わせた。

大きなトカゲの剥製(2m以上もある!)に、なんとか蟹の剥製、
10mくらいあるヘビの生皮まである。
石で作らせた喜怒哀楽 狸の置き物、
そして膨大な数の陶器と棚。
使ってない冷蔵庫3つに、新品の食器棚。
それに、刀も数本。おもちゃレベルものではなく、本物の。

親戚一同、笑った後苦笑い。
まだこれらはほんの一部で、おじいちゃんがあといくつなにを
隠し持っているかこれから、家宅捜査!笑
おじいちゃんが生前にひっそりと作っていた「貴重品一覧表」
が出てきた。なんだか、金田一に出てくる一家みたいで笑える。


驚いたのは、お祖父ちゃんが「私の骨はこれに入れてくれ」
と石の彫りモノを用意していたこと。
白い石を彫って作られたもので、蓋に仏様が乗っているもの。
あと、この向日葵の花瓶を、葬儀に飾ってくれと用意していた。
これはお祖父ちゃんが持っている陶器の中で一番の価値がある
らしく、美術関連の本にも載っている。
そんなもの持っていたのか!と一番驚いたのは私。

祖父は、私の育った小さな田舎の町のお医者さんだった。
医師は結構どころか、世間で思われているほど楽じゃないお仕事。
サラリーマンみたいに土日もお休みじゃなかったし、たとえ夜中でも
呼ばれれば出かけていって、お昼からは毎日往診にでかけて田舎中を
車で回っていたんだもの。
人一倍ずっとずっと働いていて、買い物とパチンコが趣味で海外旅行にも
行った事のなかった祖父。

葬儀は立派なものだった。
大きな会場だったけれど、人が入りきれないくらいいて、
祖父の愛した胡蝶蘭とカトレアの花がいっぱいで。
私は祖父が満足げに見ているような気がした。
おじいちゃんだものね、このくらいやらなくちゃ似合わないよね。
と祖父の大きな写真を見て微笑んだ。
祖父の棺桶に、昔の白衣を入れた。
ちょっと古くて、裾のあたりが茶色く変色していて、多分私が
さいころにみた祖父の白衣。
現役を退いてからはもうずいぶん祖父の白衣姿は見てないけれど
おじいちゃんにはこれが一番似合う。

おじいちゃんは自分が作った、公園みたいな母屋も仏の像も立っている
お墓にこれから入る。
おじいちゃんにはこれもまたお似合いだね。
おじいちゃんがこんなに個性的な人でよかった。
わたしにもその血が流れている気がしてならない今日この頃。



おじいちゃんは私の自慢のおじいちゃん。
昔も これからも ずっと。